昨日の内容と絡みます。
でも、同じ日にこの内容書くこと避けました。
杉浦さんが、死刑執行のサインをしなくても、
恩赦でもない限り、確定した刑は覆りませんね。
いずれ死刑は執行されてしまいます。
杉浦さんの自己満足という事も言えるでしょう。
私それでも良いと思います。
いくら法務大臣でも確定した死刑を覆すことはできませんから。
杉浦さんができることの中で最大の、死刑制度に対する疑問の提示をされた。
そういう事と理解して、それで十分だと思いました。
だって杉浦さん「法務大臣」だったんですからね。
との記述「ウィキペディア」にあるのですが、
これで納得してはいけない気がします。
杉浦さん、弁護士でも、真宗大谷派の信者ではなくても、
死刑制度に疑問持っていると思います。
確かに宗教団体の幹部が
「死刑にすべきだ」
みたいな発言はしにくいですね。
死刑制度に賛成の弁護士も少なそうですね。
弁護士が死刑を容認すると裁判に負けてしまいます。
裁判官に自分の弁護している被告が、
「死刑を宣告する」
と、言われたときに。
「ハイおっしゃる通り、確かに死刑に値します」
そんな発言する弁護士いなさそうですね。
でも弁護士になる人全てが死刑制度に反対ではなくて、
賛成の人もいそうな気がしますね。
反対に検事だと死刑制度に否定的な人はいなさそうです。
今どの程度の犯行を犯したら、
死刑求刑という目安みたいなものありそうですね。
本来死刑を求刑すべき被告に対して、
死刑制度に反対だから、
「無期懲役の求刑をします」
そんな判事さんって、いそうも無いですね。
ですので、
弁護士になった時点で=死刑制度に反対
検事になった時点で =死刑制度に賛成
でも
死刑制度に賛成な弁護士
死刑制度に反対な検事
いても良いと思うのですが、というよりいないとかえって変ですね。
弁護士も検事も偏った思想を持っていることになってしまいます。
さて裁判官です。
これは死刑制度に賛成の人も、反対の人もいないと困りますね。
裁判官は状況に応じた適切な判断求められる職業ですから。
ですので、本当は反対でも賛成でもない人が裁判官には適しているのでしょう。
この一文でこんなことを私考えていました。
ネ、昨日の文章中に書かない方が良いでしょう。