アーミッシュ

今日書くことは元ネタあります。
冷泉彰彦さんが、村上龍さん主催の「JMM」に寄稿した。
2006年10月7日発行分の「危機に出口はあるのか」です。


まず「アーミッシュ」の説明から入ります。
私も冷泉さんの寄稿読むまで、
そんなような暮らしをしている方たちがいる、ってことは知っていましたが、
呼び名は知りませんでした。
参考によろしければお読み下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
http://rose.zero.ad.jp/~zbm18386/amish.html


そんな彼らの子供たちの学校が事件に巻き込まれています。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/offbeat/20061007i311-yol.html
http://cnn.co.jp/usa/CNN200610060001.html


なんか、すごい事件なのですが、
冷泉さんの視点は銃規制の方に行っているのではありません。
アーミッシュの方たちが、事件後自殺した加害者の家族に対して、
「赦し」の姿勢を示したという所に視点が行っています。


私は死刑制度は不要という考えを持っています。
でも死刑制度を容認している方に言われるのは、
「自分の家族を殺されても、そう言えるのか」
という点です。
それでも、
「死刑制度は不要であると言いたい!」
そんな気持ちは持っています。
でも実際そうなった時に、
私はそういえるのか、
憎しみに勝って、信念を貫きたいと思いますが、
実際の所不明です。
想像できませんし、
他人のことだから言えている部分否定できません。
私の現実はそんなもんです。
ですので、悲しみは持っても、憎しみを継続しない、
アーミッュシュの方たちの「赦す」姿勢頭が下がりました。
彼ら独自の宗教観によるところもあるのかもしれませんが、
私、宗教のそんなに好きではないので、
彼らの持っている物質文明を意識しない、生活感がこのような姿勢を生み出せたのだろうか?
そんなことを考えてしまいました。


昨日朝、TV見ていたら、北朝鮮が2度目の核実験とのテロップ出て、
アナウンサーも臨時でそのニュース読んでました。
昨日の朝日・夕刊1面真ん中に

再び核実験!? 「誤報」世界を走る

の見出し出ています。
どうもマスコミも浮き足立っていますね。
冷静な判断できなくなっています。
国会も北朝鮮への制裁、全会一致で可決したようです。
国会議員全員賛成って言うのも異常な気がしますね。
実際、制裁が逆効果になる可能性も否定できませんね。
ですので、心情的に反対の議員さんいたと思うのです。
反対票っていうのは非難を浴びそうで、
なかなか入れられないでしょうね。
みんな勢いに飲まれてしまっています。


ミサイルの時は抵抗した中・ソも今回は、
制裁ある程度容認しそうです。
北朝鮮に核実験されてしまって、
面子つぶされて、さらに容認しないとなると、
今度は中・ソが非難を浴びそうですね。
それに赦しても、北朝鮮核を手放さなそうな気がします。
制裁も、赦しも解決に向かう最善の方法と言い切れない現状があります。
どうしたら皆が心の平安を得ることができるのでしょうね。
アーミッシュの方達にどうしたら良いか、意見を聞いてみたいです。