NHK訴訟

昨日TVで、この件見て前回の高裁判決時に書いているので、書こうと思いました。
記事夕刊に間に合わなかったようなので、早起きして朝刊見て書こうと思い、
1時間以上早寝したのですが普段より30分ぐらい遅起きで、8時間弱寝てしまいました。(ネタネタ)


さて本題、今日の朝日・朝刊1面左、

NHK訴訟
市民団体が逆転敗訴
最高裁番組「期待権」認めず

とあります。
asahi.comです。
http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806120208.html
引用します。
タイトルです。
番組改変訴訟、市民団体側の逆転敗訴確定 最高裁判決
本文です。

NHKの番組が放送直前に改変されたとして、取材を受けた市民団体がNHKなどに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は12日、200万円の支払いをNHK側に命じた二審・東京高裁判決を破棄。市民団体の請求をすべて退ける判決を言い渡した。市民団体側の逆転敗訴が確定した。

 取材を受けた側が番組内容に抱いた「期待と信頼」が裏切られた場合に、放送事業者や取材した制作会社が賠償責任を負うのかが争点だった。第一小法廷は、「編集により当初の企画と異なる内容になるのは当然のことと国民に認識されている」と述べたうえで、「期待と信頼は、原則として法的保護の対象とはならない」との初めての判断を示した。

 問題となった番組は、01年1月に放送した「ETV2001 問われる戦時性暴力」。旧日本軍の性暴力を民間人が裁く「女性国際戦犯法廷」を開いた「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(バウネットジャパン)が、取材を受けた際の説明と異なる番組を放送されたことで「期待権を侵害された」などと主張し、NHKと下請け制作2社に賠償を求めた。

 第一小法廷は、取材を受けた側の「期待と信頼」が例外的に保護される場合として、(1)取材に応じることで取材対象者に格段の負担が生じる(2)取材者が「必ず一定の内容、方法で取り上げる」と説明した(3)その説明が、客観的にみて取材対象者が取材に応じる原因となった――の全条件を満たしたときに認められる余地があるとした。

 そのうえで、今回のバウネットの場合を検討。「戦犯法廷」は取材とは無関係に予定されておりバウネット側に格段の負担はなく、取材担当者も「必ず一定の内容、方法で取り上げる」とは説明していないことから、バウネット側の「期待と信頼」は法的に保護されないと結論づけた。原告が主張したような「期待権」という言葉は使わなかった。

 裁判官5人のうち、4人の多数意見。横尾裁判官は「報道の自由の制約につながるもので、期待と信頼が法的保護に値すると認める余地はない」と述べ、一切の例外を認めないとの意見を述べた。

 二審判決は「NHK側が国会議員などの意図を忖度(そんたく)し、当たり障りのないよう番組を改変した」などと評価したが、第一小法廷は、この評価を含む二審の判断を取り消した。今回の不法行為の有無を判断するために必要がないため、「忖度したか」についてはそれ以上具体的な言及はしなかった。(岩田清隆)

この記事社会面に関連記事出ています。
手元の新聞で37面に判決要旨
38面に

編集自主性広く認定
NHK「正当な判断」
原告側「検討不足だ」

この件朝日新聞も、NHKが政治家(安倍さんと中川さん)の政治的圧力で番組改編したと書き、
NHKとの間で問題になっていましたね。


私見です。
今回の判決残念な分部あるのですが、
これで良かったとも思っています。
前回の判決時にかいた「なんやかんや」まずリンクしておきます。
2007-01-31 政治的圧力は? - なんやかんや
この時勝訴ですが、こんなこと書いています。

今回のように旧日本軍による性的暴力を受けた、弱い方たちの取材が改変されるのは私も問題あると思います。
ただこういうのって、強い立場にの人にも適応されると問題あると思います。
「取材される側が、取材する側に、期待権をかさに、自分の都合の良い取材をさせ記事を書かせる又は放送させる。」
そんな危惧を持ちます。
取材する側の表現の自由大切だと思います。

期待権認めてしまうと、
「取材される側の意図に沿った報道になってしまう」
報道の自由を守るために、
それは違う!
そう思います。


今回の裁判の元になった従軍慰安婦問題について、
NHK担当プロデューサーなどの証言で、
政治家の圧力に屈した感じ、
しています。
報道の自由を守るために、
これも違う!
そう思います。


私が、ものすごく残念に思うのは、原告側が、
期待権
なるものをなぜ争点にしてしまったのか。
そこです。
この裁判、「期待権」ではなく、他の部分を争点にして、
報道の自由を守るために、是非勝訴して欲しかった。
勝ったNHKの報道の方たち、素直に喜べない分部あると思います。
この裁判「期待権」で争ってしまったため、
「勝っても、負けても、報道の自由を守れない」
そんな裁判になっていたと思います。
自分たちの受けた取材のその後の取り扱われ方が、よっぽど残念だったとは思いますが、
原告の方たちと原告弁護士さんたちは、そこも考えて争点を見つけられたら良かったのに。
そう思いました。


私も法律苦手なので、
では、争点を何処にもって行ったら、
原告側の意図も反映されて、
報道の自由が、政治家の圧力によって曲げられることなく守られて、
公正な番組作りができたのか?
わかっていません。
でわかっているのは、
今回の判決で1番残念だったこの↓分部、

二審判決は「NHK側が国会議員などの意図を忖度(そんたく)し、当たり障りのないよう番組を改変した」などと評価したが、第一小法廷は、この評価を含む二審の判断を取り消した。今回の不法行為の有無を判断するために必要がないため、「忖度したか」についてはそれ以上具体的な言及はしなかった。

が「争点」でも良かったのではないか?ということです。
で、この分部避けられてしまいましたね。
言及せずに2審判決取り消されてしまいました。
言及しないと言うことは、プラス思考すると、
「意図を忖度して当たり障りのないように番組を改編するのは」
良くないかもしれない、
と思っているかもしれない、
「しれない」
が2回続きましたが、私の期待する判決可能性ある気がチョットします。
朝日とNHKこの件の政治的圧力があったかどうかの事実関係で論争していましたが、
事実関係もすごく大切ですが、
報道の自由を守る」
というもう一つの大切な面では、皆で協力できると思っています。
忖度の意味は上記
2007-01-31 政治的圧力は? - なんやかんや
リンク見ると書いてあります。


#後述
今日の「なんやかんや」書いているときは気付かなかったのですが、
朝刊の社説この件について書かれていました。
asahi.comリンクです。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080613.html?ref=any
全文、コピペしときます。
タイトルです。
NHK―勝訴で背負う自律の責任

 放送局がどのような放送をするかは、表現の自由として、放送局の自律的判断にゆだねられている。放送の内容が当初の企画と異なることは当然あるから、取材を受けた側の放送内容への期待は、原則として法的な保護の対象にはならない。

 最高裁判決はこのように述べ、原告が主張する「取材される側の期待権」を極めて限定する判断を示した。

 争いになったのは、旧日本軍の慰安婦問題を取り上げたNHK教育テレビの番組である。取材に協力した市民団体が「放送直前に内容が改変され、当初の趣旨と異なる番組となった」として、NHKと制作会社に慰謝料を求めていた。最高裁期待権を認めるべき例外には当たらないとして、原告勝訴の東京高裁判決を破棄し、原告の請求を退けた。

 取材を受ける側の期待権の拡大解釈を防ぎ、表現や報道の自由を守るうえで大きな意味を持つ判断である。

 取材された人が、報道内容について自分の期待通りでなかったからといって賠償を認められるなら、取材や報道にとって大きな制約になる。期待権は政治家や企業などが思い通りの報道をさせて世論を誘導しようとするときに悪用されかねない。

 勝訴したからといって、NHKは手放しで喜ぶわけにはいくまい。この問題が注目されたのは、期待権とは別に、番組の改変がNHKの自律的判断ではなく、政治家の影響を受けていたのではないか、と疑問が投げかけられていたからだ。

 二審の東京高裁判決によると、放送前にNHKの幹部らが当時の安倍晋三官房副長官に会って番組の内容を説明した。安倍氏慰安婦問題の持論を展開し、公正中立の立場で報道すべきだと指摘した。NHKに戻った幹部の1人が大幅な改変を指示した。

 そのうえで、東京高裁は「NHKは国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度(そんたく)して番組を改変した。編集権を自ら放棄した行為に等しい」と批判していた。

 この点について最高裁判決は具体的に触れていない。期待権を認めないという結論を出した以上、改変理由を判断する必要はないということだろう。

 NHKは予算案の承認権を国会に握られており、政治家から圧力を受けやすい。そうであるからこそ、NHKは常に政治から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。

 裁判が決着したのを機に、NHKは政治との距離の取り方について検証し、視聴者に示してはどうか。

 「どのような放送をするかは放送局の自律的判断」という最高裁判決はNHKに重い宿題を負わせたといえる。この宿題にきちんと応えることが、公共放送としての信頼につながる。

これ先に読んでいたら今日の内容一部違っていたかも知れません。
文章力はプロにはかないませんが、視点似ている分部見られますね。