カワバタ(白石)さんのお話

例えば、こんなこと言っています。

企業が大規模な人員整理によって多数の従業員をクビにして社会に放り捨てる。すると証券市場は大リストラを歓迎して、その企業の株価を持ち上げる。企業は業績を回復させ、株主配当は増え、株価の上昇で株主たちの財産はふくらむ。一方解雇された社員たちは短期間、失業保険を受け取った後は生活水準の大幅な切り下げを余儀なくされる。そうやって富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっていく。株主と従業員、この立場の違いによって生まれる格差がこれほど明確で不可逆的になってくると、社会の二分化、階層化は避けられなくなっていく。

これが小泉改革以降いっそう進んでいますね。
構造改革私も必要だと思いましたが、一番簡単に改革できる分部に手をつけて自由化して、私たちが守られていた分部が過激な競争の中に巻き込まれているのかもしれません。
既得権益といわれる部分の構造改革の堅牢な部分残されたような?
私も、何をどう改革していけば良いのかよくわからなくなっています?

我々の生活に不可欠な種々の製品を作り出す会社よりも、使い勝手のいい検索エンジン一つ発案したにすぎぬ会社の方が何倍も利潤を挙げているという現実はやはり間違っている。なぜなら広告主であるメーカーが全部潰れてしまえば検索エンジンの会社は一瞬のうちに倒産するが、メーカーの方は検索エンジンが消えうせても決して倒産しないからだ。そうした本末転倒があらゆる経済分野で起こっているのが現在の世界なのである。

「広告主であるメーカーが全部潰れてしまえば」
の分部ちょっと強引な感じしますが、
本末転倒は感じますね。
「私たちの生活に本当に必要なものを作っている人たちが低賃金で苦労して、生活に必要でない分部にかかわっている方たちが高収入を得ている」
こういう、たとえいかがでしょう?


ご本人の考えだけでなく、73年にミルトン・フリードマンさんが「PLAYBOY」のインタビューに答えた分部の引用もあります。

もし最低賃金が引上げられた結果、それまで南部で十分採算が取れていた企業がだめになったら、それは南部の人たちにとっていいことですか、悪い事ですか。もちろん悪い事でしょう。それまであった仕事が突然なくなるのですからね。最低賃金法というものの実体は、限られた技能しか持たない人々の雇用を禁止する法律なんです。

なるほどね。
最低賃金を上げるってことは、確かに最低賃金でしか人を雇えない会社が苦しくなるだけで、大きな会社は元々もっとお金出していそうです。
そうなると、日本人が解雇されて、研修生という名の賃金の安い外国人労働者を雇ったり工夫していくのですね。


カワバタさんのお話しまだ途中です。
後で又。

#後述
読んでいたの、今年の山本周五郎賞受賞作。
「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」
です。
読んでいて先日読んでいた、三田さんの「マルクスの逆襲」との類似点感じました。
2009-05-31 マルクスの逆襲 - なんやかんや

村上さんの「1Q84」買ったとき一緒に買いました。

300Pぐらいの1冊ものだと思っていたら、上下で計631Pあります。
発行日2009年1月26日でまだ初版でした。(山本周五郎賞受賞作でもそんなに売り上げ伸びないのですね)
1000P超えているわけではないですが、気合い入れて一気に読みました。
以前出ていた、朝日の書評引用します。

掲載]2009年2月15日
[評者]久田恵(ノンフィクション作家)■欺瞞に満ちた人間社会を大胆に暴く

 刺激的な作品だ。

 新しい啓蒙(けいもう)小説と言えるのかもしれない。

 市場主義を唱えた経済学者ミルトン・フリードマンの言説を紹介したり、官公庁の詳細なデータを駆使したりして、ネットカフェ難民を生んだ格差社会の実態をミもフタもなく語り尽くす……。

 そんな巧妙な仕掛けによって本書は、読者を小説の世界へと引きずりこむ。まるでわたしたちが今、いかなる時代を生きているかを理解せずにはこの小説は成立しないとでも言わんばかりに。その気迫にひきずられ、一気に読まされてしまう。

 主人公は、某大手出版社の辣腕(らつわん)編集長。彼は仕事上、政治、経済、芸能界にからみ、自分の立場を利用して女性とのセックスをむさぼるという世俗の極みを生きている。

 さらに相手の弱味(よわみ)を掴(つか)んで牽制(けんせい)しあう会社内の人間力学や、不平等社会の変革を唱えるだけの東大准教授の知的な妻との関係が描かれ、そこに家族や子どもといった人生にかかわるさまざまな場面もからませながら、物語は大胆に、予想外の展開をしていく。

 登場人物は格別な悪人でも善人でもない。けれど、この社会がいかに人々の欺瞞(ぎまん)と偽善と保身と背信に満ち満ちているのか、それが次々と暴き出されていく。主人公は次第に社会のまっとうな道筋を外れて別の道へと逃避行を始めるのだが、それとともに、読む側も自分の「内なる欺瞞や偽善」がさらけ出されて、心がうずきだす。

 たとえば正義を論じ他者への愛を語ることはいくらでもできるが、それを成すのはとても難しいとか、いや多くはそのことに気づきもしないでいるというように。ならば、自分はこれからどう生きればいいのだろうかと、自問自答せざるを得なくなる。

 ただ、テーマの過酷さに比して読了感がすがすがしいのは、醜悪な部分も抱えた存在と知ってなお、人は愛(いと)しく、哀(かな)しい、という思いが作品から立ち上がってくるからだろう。著者は、この作品で引き返せない地点に来てしまったような気がする。ここからどこへ行くのだろうか。

    ◇

 しらいし・かずふみ 58年生まれ。作家。『一瞬の光』『どれくらいの愛情』など。

この書評で興味持って買いました。
面白かったです。
続き明日書きます。