事故った

これを書いたのは、1月6日です。
事故して、ブログの更新は出来ないよね。^_^;

この日AM11時過ぎ配達中に。
バイク(250CC)で直進中、右折中の車と交差点で当たってしまいました。
私は停車中の車と車の間をすり抜けていて、交差点に進入した時相手の車は交差点内でした。
よけ切れませんでした。

転倒して、道路上に体は放り出されました。
立とうとしましたが、右足が折れているの自分でもわかりました。
運よく対向車線に、帰還中の救急車があって、私の事故のために呼ばれた救急車の到着まで処置してくださいました。
ジーパンのお尻のポケットに入れていた、携帯無事だったので、
この日、仕事納めの昼食会に御呼ばれされていた、事務所に電話。
(この時私は道路上ではなく、歩道上に運ばれています)
事故にあっていけなくなったこと連絡。
その後配達予定の2軒にも連絡。
その後到着した警察に免許の提示とか状況確認とかしました。
ただ、怪我の手当てが優先で、私の調書は現場での作成はしませんでした、
その時、乗っていたバイク、また乗れる程度の破損で済んでいると聞かされました。
手術後、自分の着衣確認したのですが、ジーンズ何処も切れていないし、
上に来ていた、プロテクターの付いたバイク用のジャケットもなんともありませんでした。
このジャケット着ていなかったらどうなっていたか?
想像付きませんが、いくらプロテクター付きのジャケットとはいえ、今、足以外なんとも無いところをみると、たいして打っていないのだと思います。
私のために呼ばれた救急車に収納されました。
私の意識がはっきりしていたからか、救急車内で、心電図撮ったりしまして収容されてから時間があったように思います。
この時に、
「折れた足に傷があって、外傷なら良いのですが、骨が皮膚を破って外に一回出て、また元に戻った時の傷だと開放骨折といって、無菌状態の体内に菌が入ってしまっている可能性があって、手術が必要になる。」
というような説明をとってもわかりやすくしていただきました。
救急車内で何処の病院行くか相談され、診察券を持っている病院に運んでもらいました。


運ばれる前に診察まで多少待たされる事の確認ありました。確認済みですが実際はかなり待たされたように思います。
年末年始の休み前で、患者さんがごった返していたようです。
救急隊員の方1名(症状の説明してくださった隊員さんです)がずっと一緒にいてくれました。
待っている間看護師さんが来て点滴始めました。
救急隊員の方、医師との申し送りのあと帰られました。


待たされましたが、何はともあずレントゲン。
この待っている間に尿意が。
生まれて初めて尿瓶経験しました。
レントゲンの結果。
残念ながら、開放骨折でした。
即刻入院で、手術は年明けとの事。
年末の事故は辛い。^_^;


「川崎は家から遠いので、家の近くの病院に移りたい」
との希望を伝えると、この病院の事務の方が、病院名を聞いて問い合わせしてくれました。
地元の病院も私、引っ越して1年経っていないので、掛かりつけなかったのですが、父親がアキレス腱切って入院していた病院指定しました。
幸い、受け入れてくれることになり、転院。
その前に、落ち着いたら警察に連絡するよう言われていたので、電話。
川崎に入院しない事伝えると、
「来れるようになったら、事故の調書を取るので診断書を持って来てください」
とのこと、担当の方も、忙しくて、私が転院するまでの間に病院に来ること出来ませんでした。
あと言われたのが、
「事故のバイク歩道上に置いたままなので撤去するように」
とのこと。
大型のバイク免許持っている友人がいるので、事情を話して移動してもらう事にしました。
突然いわれても友人もすぐには来れません。
転院前に、川崎にあるバイクの鍵は川崎で渡したい。
病院と交渉してPM5時までの約束で、バイクの鍵と、配達途中の荷物特別に預かって頂きました。
移動決まって清算です。
交通事故は保険が利かないので、治療費5万チョットと診断書代3,150円請求されました。
手持ち3万チョットだったので、治療費1万と診断書代3,150円払って、残りは後で。
という事になりました。
この時点で、
「相手方の保険会社と連絡が取れていれば、お金払う必要はない」
との事でしたが、
そういう状況ではありませんでした。
手術翌日に、相手方の保険会社の方から連絡があって、
先方の病院のことはなしたら、
その後又電話あって、
「再度払いに行く必要はなくなりました。」
と言っていただきました。
診断書当然まだ手元にあります。
そこには、

傷病名:右下腿開放骨折
適 用:平成23年12月28日受傷し当科受信する。
      上記のため約6週間の加療を要す見込みである。

と書かれていました。


移動なのですが、これもものすごく感謝ですが、
川崎の救急車を病院が又、呼んでくださって、地元まで運んで頂きました。
結局PM3:50ごろ救急車で移動したので、友人には会えませんでした。
友人も5時には間に合って、バイクも配達の荷物も大丈夫。
移動の救急車ですが、タクシーだったら横になっての移動は不可能。
横になっての移動なので助かりました。
移動中隊員の方と話したのですが、病院間の移動は業務のうちで埼玉までとか搬送した事あるそうです。
日本のこの救急体制、素晴らしい。
本当に感謝です。


PM5時ごろ地元の病院着。
救急隊員の方にはしっかりお礼を言いました。
何かしたかったのですが、
「何かされてはいけない公務員の身分。」
とのことで、本当にお礼だけでした。
病院の救急外来に入ると、父親を手術した先生が。
申し訳ないです。
早速私と一緒に来たレントゲンの画像を見て、
「明日の最後の手術にいれます」
即決でした。
ただし前提が、足に埋め込む金属の確保が出来れば。
早速、足に埋め込む、金属を発注してくださいました。
5時過ぎだし、仕事納めっぽいし、
怪しい状況。^_^;
でも、金属確保できました。
私は、
来年まで折れたまま。
覚悟していたので、
ただただ感謝するのみでした。
あっちにもコッチにもね。
その後、レントゲン。CTとかして、病室へ。
夕食も出ました。
さばの煮たのがおかずに出ていました。
昼ごはんも食べていないのですが、お腹すいていませんでした。
ただ、
「ここで食べないと、今日のPM8時だか9時だかから明日の手術をはさんで明後日まで食事が出来ない。」
とのこと。
食べれば食べられる物で、完食しました。
消灯は9時。
あわただしい一日でしたが、この状況で運も感じますが自分にとってベストの状況を引き出せたと思いました。
でも周りの人を相当巻き込んでますね。